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東京地方裁判所 平成6年(ワ)18793号 判決 1995年7月12日

主文

一  被告甲野花子は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。

二  被告らは、原告に対し、各自、平成六年一〇月一日から一項の建物明渡ずみまで一か月金九万七〇〇〇円の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

(主位的請求)

主文同旨

(予備的請求)

被告甲野花子は、別紙物件目録記載の建物内において犬を飼育してはならない。

第二  事案の概要

本件は、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」)を賃貸している原告が、貸借人の被告甲野花子(以下「被告花子」)が動物等の飼育禁止の特約に違反して右建物内で犬を飼育したとして、主位的に、賃貸借契約を解除し、被告花子に対し、賃貸借契約の終了に基づき右建物の明渡しを求めるとともに、被告花子及びその連帯保証人である被告甲野太郎に対し、賃貸借契約終了の後である平成六年一〇月一日から建物明渡ずみまでの賃料相当額の遅延損害金の連帯支払を求め、予備的に、被告花子に対し、本件建物内での犬飼育禁止を求めた事案である。

一  争いのない事実

1 原告は、被告花子に対し、平成三年一〇月一日、本件建物を次の約定で賃貸し(以下「本件賃貸借契約」)、これを引き渡した。

(一) 期間 平成三年一〇月一日から平成五年九月三〇日まで

(二) 賃料 一か月九万七〇〇〇円

2 被告甲野太郎は、原告に対し、平成三年一〇月一日、被告花子が本件賃貸借契約に基づき原告に対して負担する債務を連帯保証した。

3 本件賃貸借契約は、平成五年八月二四日、次の約定で更新された。

(一) 期間 平成五年一〇月一日から平成七年九月三〇日まで

(二) 賃料 一か月九万七〇〇〇円

4 被告花子は、平成三年一〇月以降、本件建物内で犬一匹を飼育している。

5 原告は、被告花子に対し、平成六年八月三日に同被告に到達した書面で右書面到達後一週間以内に犬の飼育を中止するよう催告するとともに、右期間経過により本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

二  争点-動物等の飼育禁止の特約の存在(原告の主張)

本件賃貸借契約には、次の特約があった。

(一) 本件建物内で犬猫家畜類その他の動物等の飼育をしてはならない。

(二) 本件建物内で犬、猫等動物類が飼育された場合、原告は即時に賃貸借契約を解除することができる。

(被告らの主張)

(一) 被告花子は、本件建物を平成元年八月一六日に株式会社サンリビンマネジメント(以下「サンマネジメント」)から賃借したが、右賃貸借契約にあたり、被告花子は、本件建物内で犬を飼育することができるか確認し、サンマネジメント及び仲介人から犬飼育可能との確認を得た。

(二) 平成三年一〇月に、賃貸人はサンマネジメントから原告に替わったが、サンマネジメントの場合同様、犬飼育は禁止されていなかった。

(三) 被告花子は、平成元年一〇月の入居以来、本件建物内で犬一匹を飼育しているが、平成六年七月までの間、賃貸人から契約違反との指摘を受けたことはなく、近隣から苦情を受けたこともない。

第三  争点に対する判断

一  《証拠略》によれば、本件建物を含む別紙物件目録記載の共同住宅(ファミール・マサ一号館)は、平成元年一〇月に新築され、所有者である齊藤政保から、当初は、サンマネジメントが一括してこれを借り上げ、個々の部屋ごとに賃貸したこと、被告花子は、平成元年当時、東京都葛飾区内の借家に居住しており、生まれたばかりのヨークシャーテリア(現在でも体長約三〇センチメートル、体高約二五センチメートルの小型犬である。以下「本件犬」)を譲り受け、飼育していたが、右建物を明け渡すことになり、犬の飼育が可能な住宅を探したこと、被告花子は、サンマネジメントとの間において、株式会社サンリビン(以下「サンリビン」)を仲介人として、同年八月一六日、本件建物を賃借するとの契約を締結し、同年一〇月初旬、本件建物に本件犬を連れて入居したこと、その後、平成三年一〇月に、齊藤政保からのファミール・マサ一号館の賃借人がサンマネジメントから原告に替わったため、個々の部屋の賃貸人もサンマネジメントから原告に替わり、被告花子は、原告との間で本件建物の賃貸借契約を締結し直したこと(本件賃貸借契約)が認められる。

二  ところで、サンマネジメントと被告花子との賃貸借契約書には、三条4に「賃借人は本物件内及びその周辺において犬猫及びそれらに類する動物を飼育してはならない」との記載があり、また、原告と被告花子との賃貸借契約書には、いずれも一〇条3に「賃借人は本件物件内で、犬猫家畜類その他の動物等の飼育をしてはならない」との記載がある(同契約書一三条には、「賃借人において一〇条の規定に違反したとき、賃貸人は何ら通知、催告を要せず即時本契約を解除できる」旨の記載もある)ほか、被告花子が原告に対し平成五年の賃貸借契約更新時に差し入れた念書には、「当契約において、特別許可を受けているもの以外は、犬、猫など動物類は絶対に飼うことはできません。もし飼われた場合即時契約解除となり、または強制退去とする」との記載がある。

三  証人乙山春夫は、「平成元年に本件建物の賃貸借契約を締結する際、契約締結にあたったサンリビンの担当者である丙川松子は、犬を飼うことを「黙認という形でOKです」と答えた」旨供述し、被告甲野花子本人も、「賃貸借契約を締結する前、サンリビンに電話で確認したところ、担当者である丙川松子から「犬の飼育を黙認する」との回答を得た」旨供述する。

また、証人乙山春夫及び被告甲野花子本人によれば、被告花子は、平成元年一〇月の入居以来、本件建物内で本件犬を飼育してきたが、サンマネジメントから契約違反を指摘されたことはなく、原告からも平成六年七月一九日までは特約違反との指摘を受けたことはなかったことが認められる。

四  しかしながら、

1 サンマネジメントとの賃貸借契約の仲介人であるサンリビンの担当者の回答は、犬の飼育を「黙認する」というものであり、これは、「内緒」ということで、正規には認められていないことを示すものにほかならず、現に、被告甲野花子本人が、「正々堂々と飼えるものではないと理解していた」と供述するところである。

また、仲介人のサンリビンではなく賃貸人のサンマネジメント自体が犬の飼育を承諾していたのかも、証人乙山春夫や被告甲野花子本人の供述からは明らかではない。

そして、そうであるからこそ、サンマネジメントと被告花子との賃貸借契約書では、「動物等飼育禁止」の記載が削除されたり、本件犬の飼育を認めるとの特約条項が付加されたりしなかったとも考えられる。

2 《証拠略》によれば、原告と被告花子との賃貸借契約書の作成方法は、原告が契約書を郵送し、それに被告花子が署名押印して返送するという方法であり、被告花子としては、契約書の文言を読む時間が十分あったこと、しかも、「動物等飼育禁止」を含め賃借人の注意を要する箇所は赤字で印刷されていたこと、しかし、平成三年のときも平成五年のときも、被告花子から原告に対し契約書訂正の申出があったことはなく、被告花子が自発的に訂正することもなかったことが認められる。

右は、本件建物内での本件犬の飼育が禁止されていなかったというのであれば、やはり、不合理な行動というほかない。

3 そもそも、《証拠略》によれば、本件建物の賃貸人がサンマネジメントから原告に替わったとき、被告花子は、犬の飼育が禁止されていないことについて原告に確認を取っていないことが認められるが、確認を取れば否定されることが明らかなために連絡を取らなかったのではないかとも推測されるところである。

4 《証拠略》によれば、本件建物は、三階建のファミール・マサ一号館の三階にあり、本件建物に至る階段は各階一戸ずつしか利用しない階段であったこと、そのため、本件建物は、ファミール・マサ一号館の中では独立性の高い部屋であったこと、原告の従業員は、賃料の滞納や賃借人からの苦情がない限りは、頻繁に賃貸建物を訪れたりはしない態勢になっていたことが認められるから、原告が平成六年七月一八日までの間に特約違反を指摘しなかったことにも理由がある。

5 なお、《証拠略》によれば、平成六年七月一九日、原告の従業員である大朏英樹が、他の賃借人の苦情の処理のためファミール・マサ一号館を訪れた際、被告花子方に立ち寄り、本件犬の飼育を見つけたこと、そのとき、被告花子には、本件犬の飼育について、サンマネジメントの許可を得ているとの発言のほかに、「親戚が病気なので預かっている」等の言い訳めいた発言があったことが認められる。

五  そうすると、二項掲記の証拠によれば、争点の原告主張の特約の存在を認めることができ、三項掲記の証人乙山春夫及び被告甲野花子本人の供述や被告花子が本件犬を約五年近く本件建物内で飼育してきた事実があるからといって、四項で指摘した各点に照らすと、右認定を妨げるには足りない。

六  したがって、被告花子が本件建物内で本件犬を飼育していることは賃貸借契約における特約違反といわざるをえない。

確かに、犬を飼育すること自体は何ら責められるべきことではないが、賃貸の共同住宅においては、犬の飼育が自由であるとすると、その鳴き声、排泄物、臭い、毛等により当該建物に損害を与えるおそれがあるほか、同一住宅の居住者に対し迷惑又は損害を与えるおそれも否定できないのであって、そのような観点から、建物内における犬の飼育を禁止する特約を設けることにも合理性がある。

そうすると、被告花子が、本件建物内での本件犬の飼育の仕方に意を払っていることはうかがわれるとしても、動物等飼育禁止の特約がある以上は、賃借人として右特約を守らなければならないというべきである。

七  右によれば、原告の本訴請求のうち主位的請求はいずれも理由があるからこれを認容し、主文のとおり判決する。

(裁判官 江口とし子)

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